前橋家庭裁判所桐生支部 昭和37年(家)171号 審判 1962年10月16日
申立人 下田善吉(仮名)
事件本人 下田吉彦(仮名)
主文
事件本人下田吉彦を禁治産者とする。
申立人を事件本人の後見人に選任する。
理由
(申立の趣旨並びに実情)
一、申立人が申立の趣旨として述べるところは
申立人は事件本人の弟であるところ、事件本人は幼少の頃小児麻痺を患い、小学校は辛うじて卒業したが、次第に病勢が進行し現在は歩行不能で病臥状態にあり、事理の弁別能力も鈍く単独で法律行為をなすことは困難であるが、心神喪失の程度ではないので準禁治産の宣告を求める。
というのである。
二、その後当裁判所が鑑定の結果を申立人に告知したところ、申立人は事件本人のために禁治産の宣告を求める趣旨に申立を変更すると述べ、後見人として事件本人の母が最適と思料するが、母は高齢であるから申立人を選任されたいと申立てた。
(申立の変更に対する判断)
扨て、準禁治産宣告の申立の場合に禁治産宣告(又はその逆)をすることができるかどうか或いは準禁治産宜告の申立と禁治産宣告の申立とは申立が異るかどうかについては問題がある。前者についてこれを肯定する説(我妻「民法講義I」七○頁)は両制度の制質を根拠にし、これと趣旨を同じくすると思われるもの(市川「家事審判法」五五頁ポケット註釈全書(6)二一頁等)があり、他に禁治産宣告の申立の場合に準禁治産宣告をなしうると述べるもの(昭和三五年一○月三一日最高裁家二第一四一号家庭局長回答家裁月報一二巻一二号但しこの逆の場合について触れていない。)が存するけれども、準禁治産者には浪費者をも含んでいて必ずしも心神障碍の程度の差とのみいいきれるものではなく(ローゼンベルヒ教科書八版八三一頁は飲酒癖の場合には心神障碍の程度の差とはいえないから申立の変更がなければ駄目だという。但しその他の場合には申立の変更不要と述べている。)、準禁治産の宣告を求めている場合に申立人の反対の意思あるに拘らず禁治産の宣告をすることができると解するのは不当であるし、これらの場合にのみ申立の変更を要するというのは不徹底のそしりを免れないので、結局両者は申立が異るという説(大判大正一四年五月二日菊井評釈、柚木「判例民法総論」二二四頁)に賛成する。次に準禁治産宣告の申立を禁治産宣告の申立に(又はその逆に)変更することができるかについては明文の規定はないけれども、結局は職権探知によつて証拠の蒐集がなされ充分の調査をつくして審判がなされる審判手続の下において、これを否定する根拠と実益はない(右判例及びその評釈参照)ので積極に解するを相当とする。
(裁判所の判断)
よつて本案について検討するが、当裁判所調査官岩橋健爾の調査報告書、鑑定人菱山珠夫の鑑定の結果並びに申立人本人審問の結果によれば、事件本人は満二才の幼時高熱疾患のためその後の発育が者しく悪く、背椎が彎曲していて肉体的精神的機能が不全で、小学校は形式的に卒業したが、その後は一室に閉じ込つたきり母の庇護の許にあり、大小便は部屋の外に出して母に始末させる等日常生活の身辺処理も自ら行うことができず現在に至つており、又知的には文字こそ何とか書くことは出来るけれども、計算力、記憶力、判断力、意思力に乏しく、知能障碍情意鈍麻を根底とし無為自閉的状態に陥つており、社会適応性としては自己の利害得失を判断して自己の意思を表示することは全く不能であつて、以上精神発育制止兼自閉的性格偏倚のため正常人としての行為能力がなく心神喪失の常況にある場合に該当するというべきである。
よつて事件本人に対し禁治産の宣告をするが、後見人としては母が最適ではあるが明治二八年生れの高齢であるので、同居の弟である申立人を選任するのが相当であると思料するので主文のとおり審判する。
(家事審判官 松沢博夫)